「恐怖」について…

最近、思うところがあって、ホラー映画やホラー小説、ミステリー小説を絶え間なく読んでいる。

元々怖がりのくせにホラー物が好きで、小学生の時は夏休みの度に、毛布を被って「あなたの知らない世界」を鑑賞していた。

テレビに映っているタレントさん達が、一緒のように怖がっている様子を見ると、それがまた怖くて、楽しくて仕方なかったことを覚えている。

「恐怖」というのは、幼い頃からずっと一緒に育ってきたとても身近な感覚である。それまでの人生、楽しくて笑ったことの方が多いかもしれないが、怖くてどうしようもなかった時の方が印象的に覚えていたりする。

また、身近であると同時に、向き合い方のややこしい感覚である。「恐怖」はそれなりに危ないものから身を守る為に必要な感覚でありながら、怖がっていると周りにバレると恥ずかしかったりしたし、怖がってトイレにイケないと怒られたりした。更には、エンタメとして恐怖体験をしたくなると、肝試しをしたりする。

「恐怖」というのは実に興味深い。

では、人が恐怖を感じるのはどんな時か。どんなものに対してか。似た感情に「不安」があるが、私たちはたいていよく分からないものに対しては不安になる。恐怖も、分からないものに対して、さらに何か「変な予感」がした時にこの感情を抱く。

例えば暗闇は、よく見えないから不安。さらに、何か潜んでいるかもしれないから怖い…。こういう感じだろうか。しかしこの、「変な予感」というのは、経験や本能に基づく想像力から呼び起こされるものであるので、感情のボリュームの強弱は十人十色であるはずである。

これを踏まえて、恐怖を題材にした表現(文章、絵、映画など)は、「喜び」を題材にした表現よりも、2重3重に恐怖を抱かせる仕掛けをする必要があるのではないかと思っている。

というのも、喜びを題材にするなら、喜びを感じるところまでストーリーをまっすぐ持っていけばいい。少し捻っても、不幸からのどんでん返しくらいのものか。だって、喜びは、本来ならみんなが得たい感情だからだ。

しかし、恐怖というのは「本来なら避けたい感覚であるのに、楽しみたい」というひねくれた動機から始まるものであり、恐怖の感情が起きるシチュエーションが人によって千差満別であるから、(恐怖からの視点で)多くの人が面白いと感じるストーリーやコンセプトを作り上げるのには、大変なセンスと能力が要るはずである。

ここまで考えて、私はかなりホラー作家をリスペクトし始めてしまった。

昨年辺りから、怖い絵も少しずつ描き出しているが、さらに興味を持って取り組みたい気持ちでいる。

あまり、着地点の見えない文章だが、恐怖という感情とそれを表現することについて、とても感動している旨をとにかくお伝えしたかった。

そして、誰も気づいてはいないだろうが、実はこの文章は、本日の恐怖体験のスイッチとなっている。


これを最後まで読んだあなたは……




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