祈りを込めるということ
絵に祈りを込めるということを、久しぶりにしたかもしれない。
絵を描き始めたころからずっと、祈りを込めて描くことが多かった私も、最近はそういう感覚では描かなくなってきていた。
というのも、最近はだいたいの作品にお渡しするお客さんがいるからだ。
お客さんのことを精一杯考えて描くことをすると、祈る必要はなくなる。お客さんが喜び、宝物のように思ってくれれば、それだけで絵には力が宿ることになる。
お守り代わりの小さな絵↓や
大切な人達の似顔絵や、うんこファミリーの絵↓
これらの絵は、それぞれのお客さんの元で、そういう役割をになっている(と思う)。
そうだったら嬉しい。
一方で、祈りを込めた絵↓は、
誰かのためにという感覚ではなく、自分の未熟な器や、技術や、人間性が、そういうものが総動員されても、手に負えない何かをどうにかしようという悪あがきのようなもので。
未熟であればあるほど、祈りは強くなる気がしている。
今回、長い時間嫌々こねくり回して、恐らくみんなが喜ばないような雰囲気を醸し出した、「アマビエ」も、そんな祈りを込めた絵の一つだ。
本来、私は、国や世界の非常事態に「アーティストはアーティストに出来ることを」なんていう感覚が嫌いなのだけど。(本当に役に立つことをしろよ、と思うから)
未熟な私な未熟な私の中で、祈りを込めて、日記のような絵を描いた。
そういう事だと思っている。
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