子育てで最も忙しい時期にこそ見つかるもの
「子どもが小さくて目が離せず、仕事や家事、自分の時間もあまり思うように取れない…寝る暇もない…」
今は子どもも大きくなり、そのような思いをしたのは遠い昔だけれども、記憶を手繰り寄せると、ものすごくしんどかったなぁ…と思う。
その時の夫は土日も仕事で、朝も夜も子ども達と顔を合わすことなく、育児はほぼ私が一人でこなしていた。
落ち着きのない子達で、いつ外へ飛び出して行くんじゃないかと、ドアの中からチェーンロックも掛ける。夜は、子ども達の寝返りでも目が覚めるほど、感覚が敏感になる。
こんななので、子ども達が活動する日中は全く自分のことが出来ない。
子どもを寝かしつけたよる9時以降が本番だ。
まず、テレビを見ながら9%のストロングチューハイを飲む。ストロングを選ぶ理由は、1本で必ず酔えるから。
酔ったら鉛筆画にとりかかった。
私が鉛筆という画材を選んだのは、子どもが起きたりなんかあったらそこでパッと切り上げて片付けられるからだ。油絵や水彩なんかはそうはいかない。画材も毒性強いしね。
描いていても、隣室へ子どもが起きたら寝かしつけに行き、寝たらまた戻って絵を描く。
朝まで描き続けることもよくあった。もちろんしんどい。寝不足が続くと不整脈が出たり、扁桃腺をやられる事もよくあった。
でも、そのしんどさの中で大切なものを見つけられたのだ。
それは当たり前の事実。当たり前の風景。
ただ、自分が目にすることが無かった、私の生活の裏側にある真実。
例えば
8月の朝5時に庭に出ると、家と塀に囲まれた小さな庭に、朝顔の香りが充満している。赤いベルベットのような朝顔の花びらに、露が付いて、露越しに朝日が昇る。日が昇ると風が出て、庭に溜まっていた朝顔の香りをそっと持っていく。
私の知らなかった景色だった。
9月の夜、しんどくなって家を抜け出してコンビニに行く。昼とは違う店員さんが静かにレジを打つ。子どもの分ではなく、久しぶりに自分のアイスを買う。家に入る前に大きな蜘蛛と鉢合わせる。
これも、日中活動する私の知らなかった景色。
これって、子育てをしていなかった時には味わうことが出来なかった現実だった。噛み締めて、このひと時を有難いと思えたのは、あの頃だったからだ。
子育て中は、今まで当たり前だったことがが変化する。日常が非日常になり、非日常を過ごすひと時に恐ろしいほどたくさんの気づきがある。
この気づきは、絵を描く私にとってかけがえのない経験となっている。
「だから、今は頑張って」と言いたいのではない。根性論を押し付けたいのではないからだ。
しんどさに押しつぶされそうになったら、未来のあなたになって今を見てほしい。
子育て中だからこそ見つけられるもの。それを、やがて訪れるあなたが望む未来の糧にすることが出来る。
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