自分を超えて育って欲しいという期待と呪縛

親ならだれにでもある、「子どもには私を超えていってほしい」という気持ちが、かえって子どもを親の足元に縛り付けておくことにつなんがるではないかなと思って、ちょいとまとめてみました。

親の人生と同じベクトル上に子どもの人生はない


生まれた時から子どもは親と違う心臓で、違う時を歩み始めます。別の人格に対して、私を超えるという考え方がそもそもおこがましいもので。むしろ大切な他人の人生として尊重することが基本なんですよね。にもかかわらず、何か勘違いして、自分が得られなかった物を子どもに託そうとする。子どもからしたら、んなもん知らんわいと。

自分を超えて行って欲しいが故のコントロール


私も子どもには自分なんか超えて行って欲しいと考えている親は、子どもに自分よりも低くおって欲しい親よりは断然良いと思うのですが、巷に多く見られるのは、自分を超えて行って欲しいが故に、こういう風にしろというコントロールを子どもにしてしまう親御さんです。

生まれた時からすでに親の想像を超えている


たとえ自分と血がつながっていても、親が子に対して「こう育つだろう」と思った通りに育たないのが子育てのあるあるであり、醍醐味であったりもします。なんたって、私も自分の子が生まれた時、彼自体が未知で、想像を超えていました。皆さんもそうではなかったですか?

分からないものは不安


今まで数十年生きてきたのに、訳の分からない者が生まれ、世話をしなければ命を落としてしまうような未知の生命体を、不安な気持ちのままなんとか世話をして生きながらえさせていきます。その過程で、親は自分の不安を解消するために、子どもを自分でも理解できるものに作り直したくなるんですよね。自分を超えて行ってもらいたいけど、自分の理解できるものでないと不安なので、「オレが理解できる範囲で優秀になれ!」などという、支離滅裂な動機のある子育てになってしまうわけです。

私も自分の子達、または今まで仕事で関わってきた子達にも、自分をはるかに超えて行ってしまう存在であって欲しいと思っています。しかしながら、既に自分の想像の範疇を超え、自分と異なる考え方を身につけて行っている現時点での彼らに、尊敬の念を抱いています。

いつも現時点の子ども達を中心点とし、そこから様々な方向へ拡がる可能性のベクトルを、親子で楽しむことをオススメします。

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