競走社会に旅立つ、子どもたちへの「贈り物」


子どもをテストの点数の順位で評価したり、「〇〇くんはできるけどあなたはできない」と他人との比較で優劣を決めたり、子育ての仕方の良しあしをよその家庭と比べたり…ということって、してしまいがちだと思うのですけど、皆さんはどうでしょう。


これについて、私はこうツイートしたんですね。

すると、いつもお世話になっておりますハットリさんからこんなご意見をいただいて、あーー、確かに!って思ったんですよ。私も実際、徒競走をおててつないで同時ゴールとかって聞くと、「何を甘ったれとんじゃい。」って思う時があるので。それに、確実に大人になってからも比べられまくるじゃないですか。


ということで、この日は、「幼い頃に比較されずに育ったからこそ大人になっても力を発揮出来る人もいるし、幼い頃に比較されてきたので、大人になって比較されても耐性があるから平気で、力を発揮できる人もいる。」というふうに落としどころを見出したわけです。


でも、実はその後ももやもやしていて…


(笑)ずっと考えてたんですね。「耐性」の部分について。私が目指す子どもとの関わりの中に、耐性をつけるという意識は本当にあったのだろうか?と、すごく違和感が残って。


そんな風にもやもやしているところに、KOMAMAさんからこの引用を頂きました。


この、人によって価値基準(モノサシ)が違うという視点が、この時すっかり抜けてた私には、ありがたいお言葉でした。


そうなんですよ。大人になっても比較され続けるんです、いろんな「モノサシ」で。


そんな世の中に放り出される子どもたちにとって、必要なのは「比較されることに対する耐性」ではなくて、「自分のモノサシ」ではないかと。


幼い子どもって、まだ経験も知識も真っ白なので自分のモノサシは持っていません。周りの環境や関わりによって価値基準ができてくるわけですけど、そんな未熟な形成期に、いろんな人からいろんなモノサシで評価や比較をされ続けたら、混乱しません?「自分てなんなん…?」って思うはずです。


実は、学童で私が子どもの宿題をみたり、創作や遊びや、友達との関わりの中で気を付けている言葉がけが、「前より良くなってる」なんですよ。昨日よりも字が丁寧、前はすぐ暴力してたけどしなくなった、折り紙練習してうまくなった等々、その子のモノサシの中で現在地を教えてあげることを大切にしています。


こういう言葉がけをたくさん受ければ、「他」という自分のコントロール下にないものと比較されて、どうしようもない気持ちになることもなく、自分の成長度合いを知ることもできます。


こういったメタ認知ができるようになってくれば、それこそ他者からのいろんな評価(理不尽な評価)に揺らがない「在り方」が確立されてくるのではないかと考えています。


大人である私たちは、現実の社会が比較され続ける厳しい社会であることを、子どもよりもよく知っています。


今後も理不尽さは絶対になくならないとはいえ、人間であるならばやはり差別や戦争のない社会を目指し、不断の努力はし続けねばなりません。

そんな不断の努力を引き継ぐという意味合いをこめ、比較され続ける社会に旅立つ子どもたちに、しっかりした自分のモノサシを形成する手助けを、親や周りの大人がしていくべきなんじゃないでしょうか。

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