競走社会に旅立つ、子どもたちへの「贈り物」
子どもをテストの点数の順位で評価したり、「〇〇くんはできるけどあなたはできない」と他人との比較で優劣を決めたり、子育ての仕方の良しあしをよその家庭と比べたり…ということって、してしまいがちだと思うのですけど、皆さんはどうでしょう。
これについて、私はこうツイートしたんですね。
他と比較せずに、自分や子どものことを受け入れ認めることが一番健全だと思う。 自然だしね。 本来、動物なら他人と比較なんかしなくても、ちゃんとそれとして存在してるもんね。
— マユ | 会いにゆく親子写真屋さん (@mayuchinsan2) June 10, 2021
すると、いつもお世話になっておりますハットリさんからこんなご意見をいただいて、あーー、確かに!って思ったんですよ。私も実際、徒競走をおててつないで同時ゴールとかって聞くと、「何を甘ったれとんじゃい。」って思う時があるので。それに、確実に大人になってからも比べられまくるじゃないですか。
甘やかしすぎな気もしますけどねー。
— ハットリシンヤ|マーケとカメラとイロイロ (@FACTDEAL) June 10, 2021
大人になってからガンガン比べられるわけだから、ある程度耐性がないとなーと。
ということで、この日は、「幼い頃に比較されずに育ったからこそ大人になっても力を発揮出来る人もいるし、幼い頃に比較されてきたので、大人になって比較されても耐性があるから平気で、力を発揮できる人もいる。」というふうに落としどころを見出したわけです。
でも、実はその後ももやもやしていて…
そんな風にもやもやしているところに、KOMAMAさんからこの引用を頂きました。
比較ってのは誰かが都合良くなるように決められたモノサシだと思ってる。
— KOMAMA (@KOMAMA1113) June 10, 2021
だから、あてるモノサシを変えたら評価も変わる。
人をはかるモノサシは1つだけじゃないから伸び伸び生きたらいいと子どもたちには教えたいですね☺️ https://t.co/P86OrahXWL
この、人によって価値基準(モノサシ)が違うという視点が、この時すっかり抜けてた私には、ありがたいお言葉でした。
そんな世の中に放り出される子どもたちにとって、必要なのは「比較されることに対する耐性」ではなくて、「自分のモノサシ」ではないかと。
実は、学童で私が子どもの宿題をみたり、創作や遊びや、友達との関わりの中で気を付けている言葉がけが、「前より良くなってる」なんですよ。昨日よりも字が丁寧、前はすぐ暴力してたけどしなくなった、折り紙練習してうまくなった等々、その子のモノサシの中で現在地を教えてあげることを大切にしています。
こういう言葉がけをたくさん受ければ、「他」という自分のコントロール下にないものと比較されて、どうしようもない気持ちになることもなく、自分の成長度合いを知ることもできます。
大人である私たちは、現実の社会が比較され続ける厳しい社会であることを、子どもよりもよく知っています。
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