子どもに「学童が要らなくなる」世界を

私の、学童という職場でのゴールは「学童が要らなくなる世界にしたい」という、学童の先生らしからぬ、他の同業者の方から見たら一風変わったゴール。


先日も、このゴールについてツイートした時、かなりのご批判をいただき、しばらくの間考え直していたわけですが、このゴール設定で数年向き合ってきた学童と子どもたちが、かなり良い変化をしてきたのは事実です。


せっかくなので、どのような取り組みを行ってきたかを、書いてみようと思います。学童の先生をされている同業者の方にも何かヒントがあるかもしれませんので。


同業の方はご存じの通り、学童は厚生労働省の放課後児童健全育成事業にあたり、指針として、「放課後児童の健全育成」が掲げられています。具体的には、共働き等で放課後の保育が困難な保護者と連携を取り、子どもの育成支援を行う場所です。育成支援は、子どもにとって安心・安全な環境で、子どもの主体性・自主性を育むことを大まかな内容としています。


「保護者の代わりに学童が」、ということですが、親は子どもがやがて自立し巣立つことを前提に子育てをしています。ということは、今後もずっと共働き家庭は存在し続けてども、保護者や子どもにとって「どうすれば学童が要らなくなるか」を考えて保育することもあながち間違ってはいない方向性なのではないでしょうか。



では、わが学童の具体的な取り組みについて触れていきます。物理的な側面でなく、保育に的を絞っていきますね。うちの学童の保育方針の主として掲げられているのが「子どもの主体性・自主性を育み、自立へと導く」という文言です。支援員はこれを念頭に置いて、様々な関わりを行っています。



ルールはできるだけ減らす


私が就職した当初は、大人が考えたルールが子どもたちの字で大きな紙に箇条書きで書かれ、壁に貼ってありました。とても窮屈ですね(笑)。


守らなければならないルールがたくさんあると、支援員は子どもたちに注意をし続けなければなりません。支援員にとっても子どもにとっても、毎日がとてもしんどいものになります。さらに、子どものルールについての理解度も「怒られるからやめておく」程度のものになり、自分で考える力を奪っていきます。


ある日、ルールが書いてある紙を剥がし、全てのルールを無くしてみました。代わりに、どうすればみんなが過ごしやすくなるかを子ども同士で話し合う機会を作りました。最初は、「みんなで注意しよう」とか「守れなかったら、禁止しよう」など、他人を制限する視点ばかりだったのが、マナーや他人への思いやりの視点を大切にする仕組み作りにシフトしていきました。

他人に制限されず、マナーや他人への思いやり目線で、自ら能動的に行動を変化させることは、子ども自身もストレスを感じません。ストレスの少ない日々は、集団全体の雰囲気を良いものにしていきました。


保護者主体の行事を子ども主体に


この地域の学童多くが、年間を通して土日に数回、保護者が主体で行う行事を保護者会の役割に位置づけています。

例えば夏祭りでも餅つき大会でも、保護者が企画し、準備設営まで行い、子どもたちをもてなしています。どう考えても、学童において、この行事のあり方が子どもたちにとって主体的でなく、気になっていた私たちは、試験的に子ども主体に切り替えてみました。

案の定、「やりたいこと、自由になんでもやっていいんだよ」と子どもたちと企画会議を開いても、やりたいことが全く出てきません。挙句の果てには「今までの、大人にやってもらうやつでいい」という子もいました。私たちが思考停止で行ってきた保育の中で、子どもたちのハングリー精神や独創性をこんなにも奪っていたのかと、大変反省したものです。

数年かけて試行錯誤するうちに、子どもたちの企画力も成長していきました。みんなが楽しめる行事を考えて行く中で、「他の子を楽しませることが自分の楽しみ」であるという「利他の精神」も育ってきました。利他の精神は、子どもたちが社会に出ても、人間関係や物事が円滑に運ぶことにとても役立つことでしょう。

当初、「子どもたちの楽しみを奪われるのではないか」と心配していた保護者の皆さんも、子どもたちが徐々に主体的に動けるようになり、自主性を取り戻していく様子を見て、理解を示してくれるようになりました。


子ども同士のトラブルは、子どもの「どうしたいか」を優先


例えば、「B君に叩かれた!」というA君への対応は、ほとんどの場合、先生がB君を叱り、「叩いちゃダメでしょ!ごめんなさいは!?」と言い、B「ごめんね」A「いいよ」で解決されることが多いです。


ですがうちの場合は、B君への理由の聞き取りと、両者への状況の聞き取りをして把握をしつつ、B君には暴力という手段に出ずにどうすべきだったかを、A君には今後B君との関係をどうしたいかを、考えてもらいます。B君が謝りたいと言えば謝らせ、A君が許したくないと言えばそれでもいいと言います。


要するに、子どもがいずれは自分自身で友人関係のトラブルを乗り越えていくことを前提に、思考法や言葉のやり取りの技術を身につけさせるべく、大人側の言葉がけを工夫しているのです。



日々の関わり


自分が子ども達に好かれたり、人気者になることより、「学童が要らなくなる世界」のゴールや自分の役割に忠実に、演者として関わっています。

こんなことを言うと、冷淡だという印象を与えかねないですが、ゴールを持たずにノウハウに頼りきりの場当たり的な保育をしている支援員よりは、子どもたちに本音でぶつかり、より人間的な関わりができていると思います。学童での私と子どもたちとの関わりを見てても、気張りや力みもないでしょう。

子どもは、大人との関係性の中で演じる自分の役割を無意識に決め、それを素直に表現する生き物です。できる限り、表面的な関わりに慣れさせず、本音で関われる大人との関係を多く持ち、今後の糧にしてもらいたいのです。



以上の「学童が要らなくなる世界」というゴールに向けての取り組みの一例とその効果をお話しましたが、果たして、それは子どもの未来に暗い影を落とすような不安なものでしたでしょうか。

もう一度よく頭に描いて頂きたいのですが、学童を必要とせず、放課後に子どもと親が一緒に過ごせる社会も、まんざら悪いものではないですよね?

家庭での子育てにおいて、子どもが自立し、親の保護や学童が要らなくなる世界は、やがて確実にやってきます。

一方、社会では必要とされ続ける、親子にとっては大切な場所であるがゆえ、思考停止の状態で子どもの受け入れと場当たり的な保育を続けるのは危険だと思っています。

その家庭にとっての課題を家庭の問題と社会問題とに混同し、社会的に見れば学童を必要としなくなっている状態なのに、依存させ、子どもの自立への道筋さえ阻害するような関わり方をしてしまう可能性もありますからね。

私がゴールに掲げている「学童が要らなくなる世界」というのは、確実に親を必要としなくなる子どもの未来の状態に近い、とてもポジティブな表現だと思っています。

社会的な問題として学童の必要な家庭はあり続けるであろうとも、子どもがその環境を能動的に切り抜け、学童の要らない自立の未来に迎えるように導くのが、学童で支援員をする者の役目ではないでしょうか。

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