「生きている」という自信がない日に
悶々とした湿度の中で、昼寝から目覚めると既に夕方。
何かに追われるように、トレーニングウェアに着替え、ワラーチで外へ飛び出す。
湿気を吸いに吸って、血液も肉も膨張しきっている。
ワラーチの薄い靴底が地面を丁寧に感じる。時に小石が樹脂にくい込み、土踏まずを襲う。
子宮に出来た筋腫も、走る度に骨盤を圧迫するのを感じる。
薄暗い高架下を走り抜けようとすると、斜面から染み出た雨水が、ワラーチの隙間を通り抜け、指の間に染み込む。
薄暗い道路で、スケボーをしている青年たちの声と音で、アスファルトをさらに感じる。
体内の全てが滞って、自分が本当に生きているのか自信がなくて、静かに不安を感じていたが、早く打つ心臓が、「生きている」という証拠を示す。
体に溜まった水分が汗として吹き出て、いよいよ「生きている」という実感が強くなる。
痛いとか、苦しいとか、冷たいとか、怖いとか、ちょうど良い不快感が「生きている」という感覚を呼び覚ますなんて、人間とはなんとも不思議なところがある。
幸せとも、不幸とも表現し難い、生きているという感覚を、今日も敢えて捕らえにいく。
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